横領社員に損害賠償は請求できる?回収率を左右する証拠の集め方
「横領した社員から、いくら取り返せるのか」——横領の発覚後、経営者が最終的に突き当たるのはこの一点です。
就業規則に基づく懲戒処分や刑事告訴は比較的スムーズに進んでも、肝心の損害の回収でつまずくケースは少なくありません。
損害賠償請求権があることと、実際にお金が戻ってくることの間には、大きな距離があります。
本記事では、横領社員への損害賠償請求の法的な仕組みと具体的な回収手段を整理したうえで、なぜ多くのケースで回収率が伸び悩むのか、そして回収率を上げるために何を準備すべきかを解説します。
横領社員に損害賠償を請求できるか?法的根拠
横領を行った従業員に対して、会社が損害賠償を請求できる法的根拠は主に次の2つです。
不法行為責任(民法709条)
横領は会社の財産を違法に侵害する行為であり、典型的な不法行為にあたります。
会社は横領によって被った損害の賠償を、不法行為に基づいて請求できます。
債務不履行責任(民法415条)
従業員は雇用契約上、会社の財産を適切に管理・保管する付随義務(善管注意義務)を負っています。
横領はこの義務に対する明白な違反であるため、契約責任としても賠償請求の根拠になります。
実務上は、この2つの請求権を選択的または重畳的に主張することが一般的です。加えて、横領の態様が悪質であれば刑法253条の業務上横領罪に該当し、刑事責任の対象にもなり得ます。
ただし、ここで押さえておきたいのは、刑事責任の追及と民事上の損害回収は別物だという点です。
相手が逮捕・起訴され有罪判決を受けたとしても、それによって会社の口座に自動的にお金が戻ってくるわけではありません。
「罰を受けさせること」と「損害を取り戻すこと」は、目的も手続きも切り分けて考える必要があります。
横領の定義や成立要件についてより詳しく知りたい方は、以下の記事もご覧ください。
損害賠償請求の3つのルート(民事訴訟・和解・刑事告訴と刑事和解)

横領被害を回収する手段は、大きく3つのルートに整理できます。
事案の性質や証拠の状況によって、単独で用いることも、組み合わせて進めることもあります。
ルート1:民事訴訟
損害賠償請求訴訟を提起し、判決によって支払いを命じてもらう方法です。判決(債務名義)を得れば、相手が任意に支払わない場合でも給与や預金口座、不動産などを差し押さえる強制執行に移れます。
もっとも、訴訟には提訴から判決確定まで半年〜1年以上を要することも多く、弁護士費用や訴訟費用の負担も発生します。
何より、勝訴判決を得ても相手に差し押さえる財産が残っていなければ、実際の回収にはつながりません。
ルート2:示談・和解
訴訟に至らず、当事者間の話し合いで弁済額や支払方法を合意する方法です。時間と費用を抑えられ、相手が任意に応じる限り実効性の高い回収が期待できます。
ただし口約束や簡易な合意書だけでは、途中で支払いが止まった際に改めて訴訟を起こさなければならず、法的な担保力に欠けます。
この弱点を補うのが、後述する公正証書化です。
ルート3:刑事告訴+刑事和解
横領について刑事告訴を行った場合、被害者(会社)と加害者との間で示談が成立すれば、その内容を刑事事件の公判調書に記載してもらう「刑事和解」という制度を利用できます(犯罪被害者等の権利利益の保護を図るための刑事手続に付随する措置に関する法律19条)。
公判調書に記載された和解内容は、裁判上の和解と同じ効力を持つため、相手が支払いを怠った場合、改めて民事訴訟を起こさなくても強制執行に移行できます。
なお、刑事裁判に付随して簡易に損害賠償を求める「損害賠償命令制度」という制度もありますが、対象となる犯罪は故意に人を死傷させた罪や性犯罪、逮捕・監禁、略取誘拐等の重大犯罪に限定されており、財産犯である業務上横領罪はこの制度の対象に含まれていません。
横領事件で刑事手続きの成果を民事回収に活かしたい場合は、損害賠償命令制度ではなく、上記の刑事和解の枠組みを検討することになります。
この点は誤解されがちなので、あわせて押さえておくと安心です。
どのルートを選ぶにしても共通して言えるのは、最終的な回収の成否を決めるのは、請求の法的な正しさではなく、証拠の質と相手の資力の有無であるということです。
横領被害の回収率はなぜ低いのか(統計と実態)
横領事件では「訴訟に勝った」ことと「お金が戻ってきた」ことが一致しないケースが非常に多く見られます。その背景には、いくつかの構造的な要因があります。
すでに費消されている
発覚時点で、横領金の多くはギャンブルや浪費、借金の返済、生活費の穴埋めなどに使われてしまっています。
判決で賠償額が確定しても、差し押さえる対象となる預金・不動産・給与が残っていなければ、回収は事実上困難になります。
損害額の立証が甘い
「おそらくこの程度取られただろう」という概算のままでは、裁判所は損害として認定してくれません。
立証できた範囲の金額しか認容されないため、証拠の粗さがそのまま回収額の目減りに直結します。
時間の経過で財産が散逸する
発覚から対応までに時間がかかるほど、相手が資産を処分・隠匿する余地が生まれます。
証拠保全や仮差押えといった初動対応の速さが、その後の回収可能性を大きく左右します。
交渉・訴訟の長期化
証拠が固まっていないと、相手は横領の事実や金額を否認・争ってくることが多く、結果として交渉や訴訟が長期化します。
会社側が疲弊し、本来の損害額より大幅に低い金額で妥協せざるを得なくなるケースも珍しくありません。
これらはいずれも、発覚直後の証拠収集の質とスピードによって結果が大きく変わる要因です。証拠が乏しい段階で対応に迷っている場合は、以下の記事も参考になります。
回収率を上げるために必要な証拠の品質
損害賠償請求における証拠の役割は、横領の事実を示すだけにとどまりません。
「いくら」「いつ」「どのような手口で」横領が行われたかを具体的に特定する証拠と、相手にどれだけの資力があるかを把握する証拠、この2種類がそろって初めて、回収可能性の高い請求が組み立てられます。
金額の特定と帳簿の突合

損害賠償請求の土台となるのが、被害金額の正確な特定です。
裁判所や相手方を納得させるには、次のような資料を突き合わせ、横領の手口と金額を時系列で説明できる状態にしておく必要があります。
- 会計帳簿・仕訳データと実際の入出金記録(通帳・振込明細)との突合
- 経費精算書・領収書と実際の使途との照合
- 在庫記録と実棚卸の差異
- 承認権限のない取引の有無、決裁記録の確認
横領が長期にわたっている場合は、直近だけでなく過去数年分の帳簿を遡って突合する作業が必要になることもあります。
社内の担当者だけでこの作業を進めると、通常業務との兼務による見落としや、当事者との人間関係に配慮した甘い調査になりがちで、結果として証拠として弱い資料しか残らないリスクがあります。
資産の所在確認(預金・不動産・車両)
金額の立証と並んで重要なのが、相手にどれだけ回収可能な資産があるかの把握です。
高額の賠償判決を得ても、相手に差し押さえる財産がなければ絵に描いた餅になってしまいます。実務上確認しておきたい資産の例は次の通りです。
- 給与・賞与の振込先金融機関と、口座残高の見込み
- 不動産の所有状況(自宅・投資用物件など)
- 自動車・貴金属・株式など資産価値のある動産・有価証券
- 家族名義への資産移転の有無(財産隠匿の兆候)
これらを訴訟前・任意交渉の段階で把握できていれば、仮差押えの申立てなど、強制執行を見据えた戦略を早期に組み立てられます。
逆に、判決確定後に資産調査を始めると、その間に相手が財産を処分してしまう可能性が高くなります。
こうした帳簿突合や資産所在の調査には、専門的なノウハウとスピードが不可欠です。
社内の対応だけでは抜け漏れや初動の遅れが生じやすいため、発覚から早い段階で専門の調査サービスに相談することも、有効な選択肢のひとつです。
弁済合意書の作り方と公正証書化のメリット
証拠が固まり、相手が弁済に応じる意向を示した場合、次に重要になるのが弁済合意書(示談書)の作成です。合意書には最低限、次の内容を明記しておく必要があります。
- 横領の事実と損害額についての相手の認否・確認事項
- 弁済すべき金額と支払方法(一括・分割)
- 支払期日、分割の場合は各回の期日
- 期限の利益喪失条項(支払いを怠った場合に残額を一括請求できる旨)
- 遅延損害金の利率
- 連帯保証人を立てる場合はその署名・押印
この合意書を公正証書として作成しておくことが、回収の実効性を大きく高めます。
公正証書は公証人の関与のもとで作成される公文書で、特に「強制執行認諾文言」を付した金銭債務の公正証書には次のメリットがあります。
- 相手が支払いを怠った際、裁判を経ずに給与や預金の差し押さえ(強制執行)に移れる
- 公証人が内容を確認して作成するため、後から合意の有無を争われるリスクが低い
- 分割弁済の途中で支払いが止まっても、速やかに強制執行の手続きに移行できる
私文書だけの合意書では、相手が支払いを止めた場合に改めて訴訟を起こし判決を得る必要があり、時間も費用もかさみます。
公正証書化しておくことで、この手間を省き、回収の実効性を確保できます。
刑事告訴と損害賠償を並行させる戦略
横領対応では、「刑事告訴か、民事の損害賠償請求か」を二者択一で捉える必要はありません。多くのケースにおいて、両者を並行させる戦略が有効に機能します。
刑事告訴を並行させるメリット
- 警察・検察の捜査によって、社内調査だけでは得られない証拠(供述調書、金融機関への照会結果など)が得られる場合がある
- 刑事責任の重さが背景にあることで、本人や家族が任意の弁済に応じやすくなる心理的な後押しが働く
- 示談が成立すれば、前述の「刑事和解」により、公判調書を債務名義として活用できる
留意すべき点
- 刑事告訴には一定の客観的証拠が必要であり、証拠が不十分だと受理されない、あるいは捜査が進まないことがある
- 刑事手続きの進行は検察・警察の判断に委ねられ、会社側の意向通りに進むとは限らない
- 刑事事件化することで相手が態度を硬化させ、任意の弁済交渉が難航する場合もある
また、横領発覚後は懲戒解雇の対象になるケースも多くありますが、解雇の手続きと証拠収集・損害賠償請求のタイミングを誤ると、後に不当解雇の主張など別の紛争を招くこともあります。
懲戒解雇を検討している場合は、手続き面についても事前に整理しておくとよいでしょう。
刑事・民事いずれの戦略を取るにせよ、共通して求められるのは、初動の段階で質の高い証拠を確保しておくことです。
証拠が曖昧なまま一方の手続きに踏み切ってしまうと後戻りが難しくなり、結果として回収額の目減りにつながります。
まとめ

横領社員に対する損害賠償請求は、民法上の不法行為責任・債務不履行責任という明確な法的根拠に支えられています。
しかし、実際に会社がどれだけ資金を取り戻せるかは、次の3点にかかっています。
- 横領の金額と手口を裏付ける証拠(帳簿突合・記録の整合性)がどれだけ精緻に整理されているか
- 相手の資産の所在を、どれだけ早期かつ正確に把握できているか
- 弁済合意を公正証書化するなど、回収の実効性を担保する仕組みを整えているか
訴訟に勝つことそれ自体はゴールではありません。「差し押さえられる資産がどこにあるか」「争われても揺るがない証拠がそろっているか」まで見据えて初動を組み立てることが、最終的な回収率を決定づけます。
社内の担当者だけで帳簿突合や資産調査を進めようとすると、時間がかかるうえに証拠として不十分な状態になりがちです。
横領が発覚した、あるいは疑いを持っている段階で、回収に耐えうる証拠を専門的に整理したいとお考えの経営者の方は、一度無料相談でお気軽にご相談ください。
証拠の状況を踏まえた具体的な回収戦略についてご案内いたします。
FAQ
横領した社員がすでに退職している場合でも、損害賠償請求はできますか?
できます。雇用契約の終了は、横領によって生じた損害賠償請求権(不法行為・債務不履行)に影響しません。
ただし退職後は連絡先や資産状況の把握が難しくなるため、退職前後の対応スピードが回収率に直結します。
弁済してもらえば、刑事責任は問われませんか?
弁済(示談)は刑事責任そのものを消滅させるものではありませんが、検察官・裁判官の判断において有利な情状として考慮されるのが実務上一般的です。
不起訴処分や執行猶予の判断材料にはなり得ますが、必ず不起訴になるとは限りません。
業務上横領のケースでも「損害賠償命令制度」は使えますか?
使えないケースがほとんどです。損害賠償命令制度の対象犯罪は、故意に人を死傷させた罪や性犯罪、略取・誘拐など一定の重大犯罪に限定されており、財産犯である業務上横領罪は対象に含まれていません。
横領事件で刑事手続きの成果を活用したい場合は、この制度ではなく「刑事和解」の枠組みを検討することになります。
損害賠償請求権に時効はありますか?
あります。不法行為に基づく請求は「損害と加害者を知った時から3年」「横領行為から20年」のいずれか早い方、債務不履行に基づく請求は「権利を行使できると知った時から5年」「行使できる時から10年」のいずれか早い方で時効消滅します。
実務上は5年の時効が問題になることが最も多いため、発覚後は早めの対応が必要です。
弁護士に依頼せず、自社だけで交渉を進めることはできますか?
法律上は可能ですが、証拠の収集・資産の把握・合意書の法的な有効性の確保など専門知識が必要な場面が多く、対応を誤ると回収額が大きく目減りするリスクがあります。
証拠収集の段階から専門家に相談することをおすすめします。
